歩きスマホを誘発とやらで、座って本を読む像が新たに作られているそうだが、勤勉の象徴であった二宮金次郎からすれば、すこぶる迷惑な話である。
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さて、この二宮金次郎少年、私はいつも校庭で見ていたはずだが記憶に残る姿は歩きながら読書する勤勉なイメージしかなかったので、我々薪ストーブユーザーとはなんの関係もないと思っていたのだが、実は薪屋さんをされていたことが分かって、親近感がわいてしまった。
それと同時にこの銅像が欲しくなってしまった(笑)。
読書のほうに目が奪われていたが、よく考えてみると背中に担いでいているものは「柴」なのである。
使い慣れた言葉だと「薪」である。
簡単に二宮金次郎の説明をすると、貧しい農家の出の金次郎は小田原藩の家老・服部家へ奉公に出て、そこで熱心に働いてお金をため、25歳のときに箱根道の風祭村にあった薪山を購入している。
電気もガスもなかった時代に、薪は食事や風呂に必要不可欠なエネルギーだったので、だったら山を買って薪を手に入れてしまえとは、随分大胆な発想をした人物である。
参考にした資料はを下に貼っておきますので、興味のある方はクリックしてご覧になって下さい。
なぜ二宮金次郎はまきを背負った? 蓄財の商法に学ぶ|出世ナビ|NIKKEI STYLE
1ヶ月間の長期出張から戻り、久しぶりに我が家で薪ストーブを見たときに、この二宮金次郎を彷彿させる光景だったのである。
但し、背中に柴は担いではおらず薪ストーブの暖を担いでいるのである。
我が家ではなじみの光景になるが、私は1ヶ月ぶりにこの姿を見たのである。
彼は教会へ参拝に来るたびに薪ストーブの前で読書をするのだが、これが至福の時だと両親に説明しているらしい。
「背中に暖を担いで帰る」とは、彼の言葉で、将来は自分の家に薪ストーブの導入を誓っている唯一の男子小学生である(笑)。
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